2022年の講義が始まりました。面白い質問, 難しい質問がありました。紹介します。

これまでの質問と違って、質問する前に自分で調べ、自分の法解釈を加えて質問するケースがみられます。他の科目の学習が生きている質問もありました。いろいろ勉強になりました。春②の期末試験も終わり、獣医事法規の今年の授業は終わります。

2022年の対面授業のVODは以下のYou Tubeにあります。

第1回 https://youtu.be/61RlZXMPo9E

第2回 https://youtu.be/SWBDAOMVpdQ

第3回 https://youtu.be/5s0WOj9R4b8

第4回 https://youtu.be/MXftaU6Y6Gs

第5回 https://youtu.be/2-KZl2NN-NY

第6回 https://youtu.be/5wmIVKS_8WA

第7回

 

 2021年12月の獣医学総合演習Iで国家試験に基づいて獣医事法規の問題を分析しました。獣医学の法規として教えるものと、獣医師免許を与えるために問われる問題との間には、かなりの差があることが分かりました。獣医師法第1条にあるように、獣医師の責務は、飼育動物の診療と畜産の振興と公衆衛生への貢献です。従って問題もそれに沿って出題されることが分かりました。共用試験の傾向とも少し違うようです。

https://www.youtube.com/watch?v=nu_RycOpOtI

2020 年10月17日に行った集中講義と再評価試験の回答をmylogにアップしようとしましたが、mylogの授業期間の変更がエラーになって入力できませんでした。学生さんは、多分見られないと思い、ここにデータをアップしておきます。

講義のVOD:https://www.youtube.com/watch?v=Nj9a8iyHGuw&t=144s

2021 年春②の講義が始まりますが、すでに質問が来ました。ありがとう。

 サイズが小さくてすみません。これ以上うまく加工できませんでした。

 2019年春②学期の1年生との質疑応答集です。沢山の質問ありがとうございました。今日、夏休み2日目にして8回分の各自の質問に全て回答を送りました。主なものを整理してここに載せます。

 講義の第1回は法、法源、憲法、法律、政令、省令、通知・通達、条例等、および実定法、成文法、判例法、慣習法、条理、自然法、及び刑事訴訟、民事訴訟、行政訴訟と刑罰等について紹介します。

 

 

0011

飼い犬が人または他の犬を咬んで殺してしまった場合、私はその犬は必ず殺処分しなければならないと思っていたのですが、飼い主が責任を取れば、殺処分しなくても良いのですか?飼い犬が人をかんで殺した場合。狂犬病であれば必ず殺処分です。そうでない場合は、必ずしも殺処分にはしないと思います(コントロールできないイヌで、いつでもまた人をかみ殺すようなリスクがあるのであれば殺処分もあるかもしれません)。他のイヌをかみ殺した場合は、飼い主が責任を取ればすむと思います。

 

002第1回

普遍的に妥当な正しい法が自然法であるというのはわかりますが、その基準は何を元にして決めるのですか?多くの人の倫理感=規範がその基準となるのですか?法というものを考えると、法は人間が実際に社会生活の必要上から社会規範として、人間が作り出したものです。そして現実に人間社会で定められ、行われている法を実定法といいいます。これに対して、社会規範として定める法(実定法)に基づかなくともヒトがヒトである以上、「時を超え、場を超え、普遍的に妥当する」法が存在する、という考え方が、古代ギリシアの昔からあります。この法が自然法ということですそのため、自然法はその普遍的な正しさと妥当性ゆえに実定法より高次元の規範であり、実定法の基本原理としてそれに妥当の根拠または基準を与えるものだと考えられる、ということです。この定義は実定法の限界を指摘しています。実定法(その基準である法源)を原点におく法学者にとっては答えられない問題かもしれません。哲学の世界に入るでしょう。

しかし、自然科学者にとっては、例えば、ヒトは、この宇宙のアンドロメダ星雲の太陽系の第3惑星である地球という惑星に生存し、それは、40億年まえに誕生した細菌(原核生物)から、真核生物へ、単細胞生物から多細胞生物へ、脊椎動物の魚類から哺乳類、そして霊長類からヒトへとつながった存在であるということ、そのため、この地球という「一つの世界」で、「ヒトは、どこからきて、何者で、どこに行くのか」ということを考えなくてはいけない。進化生物学を学ぶ所以です。そこから生まれる基準が自然法の基準なのではないでしょうか?絶滅危惧種はなぜ保全しなければならないのか?生物多様性はなぜ必要なのか?温暖化は?オゾンホールは、プラスチックごみは?・・・・こうした問題は、この惑星の持続可能性を握る、地球の生命体の一員としてヒトが負う責務で、自然法で対応すべきものかもしれません。合意が取れて成文化されれば実定法に移動するかもしれませんが、その原点は自然法というべきものでしょう。これは、あくまで私見です。

 

0031

制定法は国が制定した法なので、全国民に当てはまり法源として使用してもいいと思いましたが、慣習法はきちんと制定されておらず曖昧なのに法源とすることに違和感があります。人によって違う慣行を判決の根拠に裁いても大丈夫なんですか?そのような慣行は法源として使えないと思います。慣習法が法源として用いられる場合は、その慣習が一般に受け入れられ、法的拘束に近いレベルで認識されている場合(法的確信を伴うもの)になると思います。法源の最後の手段が条理であるように、法の基本は道理であり、一般に認められないものを法の根拠することは、避けるべきだと思います。

 

0041

法律上日本では、動物を「物」として認識しますが、そのことによって困ることは主にどんなことが挙げられるのでしょうか。社会通念として、「物」には、石や金属のような物理的な物(非生命体)と「生き物」という考えがあります。特に伴侶動物のように人の伴侶として受け入れられている動物を、金属やコンクリートと同列の物として考えるのは、現在の通念に合わなくなっていることです。伴侶動物をめぐる訴訟では、この点が問題になることが多いように思います。

 

0051

規範、軌範の説明の中に「社会規範がその典型、道徳や倫理も規範の一種である」という文がありましたが、道徳や倫理というものの捉え方・考え方は人それぞれであるから、一つに定まらないことが多いと思われるが、そのような状況でも大丈夫なのでしょうか。確かに「道徳」は道家と儒家では異なるようです。道家の道徳は、「天地自然の原理としての道と、道が本来持っている生成造化の働き(=徳)」を指しています(自然科学的原理とその発現?)。それに対し、儒家では道徳を、「人として正しく生きる上での精神的規範」という意味に捉えています。こうしてみると、普通は儒教的な道徳の意味で使われることが多いと思います。また「倫は、人が修め、守るべきみち。」、「理は、ことわり、物事のすじみち、もっともなこと」です。「人が修め、守るべき物事の筋道」で自然法的な考えに近いように思います。道徳を、「人として正しく生きる上での精神的道筋」、倫理を「人が修め、守るべき物事の筋道」ととらえるなら、概念としてはそれほど違わず、定まらないとは思えないのですが。

 

0061

なぜ他人の動物を傷つけたり、死亡させたりした場合動物は物ではないのに、器物損壊罪になるのか疑問でした。それは、今の法律では、人かそれ以外かで分けられているからだと知りました。しかし、そうだとしても、人・それ以外の他に「動物」に特化した法律も作ってほしいと思いました。動物に特化した法律もたくさんあります。しかし、基本ルールがヒトとヒト以外(もの)の2種類で法体系が出来ているのが問題なのです。それでも、実際に法的に動物への対応を考えると、生物と非生物(もの)、生物を動物と植物、その他(微生物など)、動物にヒトとヒト以外の動物、ヒト以外の動物に伴侶動物とその他の動物くらいの分類を作らなければならないでしょう。動物の関連するすべての法にこの4分類を導入して作り直すのは大作業ですし、伴侶動物が野生化したら(現在の法律では、ノイヌ、ノネコと定義されています。)どうする?といったいろいろな問題がおこります。なかなか大変ですね。

獣医師法の管轄は「農林水産省」であるのに対し、なぜ動物愛護管理法の管轄は「環境省」なのですか? また、管轄が異なることに伴う、メリット・デメリットはありますか?鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律(1963年改正)」が林野庁から環境省発足に伴い環境省に移管されました。また、1973年「動物の保護及び管理に関する法律」が制定され、総理府の所管になりましたが、26年後、「動物の愛護及び管理に関する法律」として20011月に環境省が発足することに伴い,その所管が総理府から環境省に移されました。家畜の管理は農水省、食肉の管理は厚労省、野生動物と伴侶動物・実験動物の保護・愛護と管理は環境省が出来たのでそちらに移管されたということです。まだ、メリットはあまりないように思いますが、環境省は新しい省なので過去のしがらみがないという点でしょうか?デメリットも同じで、経験がないので、結局は厚労省や農水省の助け(出向職員などが対応する)が必要となるということでしょう。環境省自体が環境汚染や公害対応を主に作られたので、あまり動物は得意ではありません。

 

007第1回

法と法律の違いがはっきりと理解することが出来なかった。法はわかったが法律の方がわからなかったので、もう少し説明が欲しい。類似の質問がありました。理解できなかったこと:法と法律の違いで、法は、分かりましたが法律があまり分かりませんでした。法とは大きな概念で、実定法と自然法を含みます。実定法は現実に使われている法で、成文法(制定法、判例法)や不文法(慣習法や条理)を含みます。他方、国内法はカテゴリーの大きい方から憲法(国)、法律(国)、政令(閣議)、省令(省庁)、条例(自治体)と分かれます。法律は国会で決められた規律です。他には自然法は日本で採用されているのか。また、その法律はなん項目あり、どのようなものに対して施行されるものなのか具体的に知りたいと思った。国内で成文化された自然法はありません。ヒトとしての本質的な存在に基づく普遍的なルールというのは理念的なもので、現実社会に適応する自然法を成文化するのは難しい気がします。昨年はモーゼの十戒を、今年はOne World「ヒトを含むすべての生命体がこの地球という惑星に生きている」という認識に基づいた生物の多様性を是とするルールを例としました。

 

0081

獣医師もVPPも正しく法を理解して、分類や遵守しなければならない順序、わずかな言葉の違いを知っておかなければ、少しの間違いから大変重い刑罰を課せられることもあるということが分かりました。規律と規範の違いを知らなかったのですが、規律=定められている義務的なおきて(must)のことで、規範=道徳や倫理が含まれる(should)の要素が強いというふうに理解しました。理解できています!

法源のなかで最終的な判決の基準となる条理についてです。司法は裁判官個人の情などが反映されてはならないと思いますが、社会の大多数の人が認める考え方の道筋かどうかはどうやって判断されるのでしょうか。やはり裁判官が判断することになります。最高裁の大法廷まで行けば複数の裁判官が関わります。多様な考え方があって難しそうです。裁判官複数人などで決断を下すのでしょうか。実際には、条理により判決が下るような事例はほとんどないと思いますよ。前回思いついた事例を説明しましたが、そのような事例は、判決前にメディアが大騒ぎして、世間の大勢が決まるのではないでしょうか?

 

0091

没収に関してよく理解出来なかった部分がある。証拠などとして没収することと説明があったが、暴力団から銃や大麻を没収すること以外にその他の犯罪などで証拠として没収した件も含まれるのか?刑法により判決がでた場合のみ、付加刑として「没収」されます。従って民法は対象外となります。また、テレビやニュースで証拠品を押収したなどと耳にすることがあるが、押収と何か違うのか。すごいわかりやすい解説がありました。押収」は差し押さえることです。そのため、捜査機関が捜査上、証拠品や事件を立件するのに必要なものを収集する場合に使います。 例えば、家宅捜索等で強制的に差し押さえる場合から、任意に提出をうける場合まで、捜査機関が証拠品を集める場合を「押収」と言います。「没収」は、刑法上の付加刑の一つです。例えば、ナイフや銃を不法に所持したという銃刀法違反事件の場合、持っていたこと自体の罪については「懲役年」といった判決がでますが、付加的に「ナイフや銃については没収」という刑を受けます。つまりこの証拠品は国が取り上げる、これが「没収」です。整理すると、まず、警察に「押収」されて、その後裁判で「没収」されるのです。「押収」は捜査機関に占有が移っただけの状態ですが(自分に帰ってくる可能性がある)、「没収」されたものは国庫に帰属し、自分には返ってきません。

 

0111

科料と罰金の違いは取り上げる金額が違うのと、完納できない場合の労役場の留置期間が違うだけで他は同じだと思うのですが、名称をなぜ分けているのでしょうか。他にも違いがあるということでしょうか。ほかには違いはありません。同じ分類でもいいと思いますが刑罰の軽重として分けています。どちらも前科が付きます。

 

0121

1回:もし裁判官が条理によって判決を下した時、その裁判官の条理が少数派だったらどうなるのですか?当該裁判官の条理による判決が少数派の考えだとしても、判決は判決です。判決に不服であれば高裁、最高裁へと上告することになります。最高裁の大法廷まで行けば、判事の多数決になります。

 

0141

刑罰のところで、罰金や科料で支払ったお金は、警察のお金になるのでしょうか?それか、国の税金になるのでしょうか?分類は税金ではありません。刑罰の執行に伴う財産刑です。国庫に入ります。

 

0151

VPPがどのような仕事につけるのかを詳しく知ることができた。今まで触れることがなかった法律についても聞き、法源(裁判官が判決のよりどころとするもの)には、慣習法、制定法、判例法、条理が含まれており、「慣習法、制定法、判例法で判決を出せないときは条理に基づくこと」がわかった。法源という言葉を初めて聞き、学ぶことができた。正確に理解しておいてください。

ライフサイエンス分野や獣医看護分野は仕事の内容が想像つくのですが、公共獣医事分野は獣医師免許がないとできないものが多くあるイメージです。動物保健看護学科の私たちは何ができるのですか?公共獣医事における獣医師の業務独占は、と畜場と食鳥処理場の検査員、狂犬病予防員だけだと、松山市保健所の方が説明していましたが、ほぼそんなところです。もちろ家畜の診療も獣医師の仕事です。これからいろいろな法律を学びますが、その他の役職はVPPでもできます。

 

0161

省令についての質問です。豚コレラの話の流れで養豚場の豚は農林水産省、野生のイノシシは、農水省の解釈では、環境省が担当するべきではないか?と考えている。していると聞きました。これを聞いて各省の担当範囲分けは人に飼われているかどうかかと考えました。農水省の管轄は、ヒトが飼育している家畜、家禽です。最近は伴侶動物が入ってきました。野生動物は基本的に環境省です。魚は捕獲、養殖までは農水省、加工・流通・販売・消費は厚労省(食肉も同様)です。動物園はかなり込み入っています。類似の質問がありました。わからなかったこと:鶏などの鳥が鳥インフルエンザを発症した場合に対応するのは農水省で、野鳥を対象とするのは環境省、動物園は国交省や地方自治体が管轄するとありました。動物園の役割として、希少な野生動物の行動展示などを行い、一般人の理解を仰いで種を保護するというものがあります。野生動物が動物園に入ってしまい、管轄する省庁が変わる上で、環境省と国交省の繋がりはきちんと成されているのですか?いいえ。それが問題ですし、希少鳥類で天然記念物などになると文化庁や文科省なども関係し、縦割り行政で責任体制が全く不明瞭です。動物園・水族館は自治体(観光課、土木課?など)、あるいは企業等の運営で、所管の国土交通省、それに特殊な鳥類では文科省や文化庁(天然記念物)、家畜保健衛生所を介して農水省(家畜伝染病法)、環境省(動物愛護管理法)、厚労省(感染症法)と、絡んできます。しかし、中心となり責任を負う省庁は不明です。ケースバイケースということになるか、ことが起こってから体制をつくることになります。けれども動物園などの飼育動物に関する法律は環境省の担当になっているそううです。それほど明瞭にはなっていないとおもいます。少なくとも動物園のイノシシの豚コレラのリスク管理に関しては環境省はお手上げです。手を出さないでしょう。一体担当の違いは何が基準になっているのでしょうか?それとも基準はないのでしょうか?動物園の動物の場合、基準は動物種により違ってくると思いますよ。

 

0171

法的拘束力とは何ですか?成文化された法ではないが、社会ルールとして、法に準ずるレベルの合意が得られており(法的確信性を伴うもの)、違反した場合は、相応するペナルティーを受け得る。コモン・ローとは日本語訳で普遍的な法律としていいですか?コモン・ローはいくつかの意味を持っています。普通法と訳しても間違いではありませんが、一般には(法学的には)、コモン・ローは英国で発祥し用いられる法概念で、日本の判例法(case law)に近い概念です。英国や米国は成文法よりも判例法主義なので、判例法をコモン・ローといいます。本来、神の法という意味でコモン・ローとしましたが、教会法やローマ法も普通法といわれています。日本は成文法で、外国と違い国家以外の文?(自国語以外ということ?外国語ということですか?)で示した法は認められますが、国家以外での法?(国外法?という意味?)とは具体的にどのようなものですか?国際法や国際条約になります。

 

0191

法源についてです。制定法の内容として、日本では表現形態が成文法で確立しているものであるが、英国や米国は慣習法や判例などの不文法を主体としていると学びました。そして、その英国や米国にも制定法(成文法)の重要性が注目を浴びていると聞きましたが、どうして最初から日本と同じように表現形態を成文法にしないのでしょうか。文化の違いです。成文法は、国の立法機関で決定され条文として公示されるので、一旦定められると非常に安定で普遍的ですが、事態が変わった時に改正するのが大変です。慣習法や判例法は不安定ですが、状況の変化に応じて容易に対応できます。それぞれ一長一短あります。どちらが、特に優れているというものでもありません。国際関係のような複雑な状況では、国際的な法廷などは成文法よりも判例法や慣習法などに基づく判断で行われることが多いようです。

 

022第1回

不文法は、文章で書き表していないとありましたが、その内容はどうやって共有されているのですか?成文法には憲法、法律、条約、命令、議院規則、最高裁判所規則、条例があります。他方不文法には慣習法、判例法、条理があります。条理、慣習法と判例法は法としては成文化されたものではありませんが、世間の道理や、法的拘束性を持つ一般慣習や過去の判例として存在しています。また、誰が管理しているのですか。条理と慣習は誰かが管理するというものではありません。人々に共有されている行為、あるいは感覚、感情、理念といったようなものでしょうか?判例は裁判記録としてのこされています。どのように存在しているのか、想像することが難しかったです。インターネットによれば、狭義の「判例」は、最高裁判所が裁判の理由の中で示した法律的判断のうち、先例として事実上の拘束力を持つものです。広義には、全ての裁判所の過去の裁判例を指します。「図書館資料やデータベース等の情報源に収録された裁判例」になります。判例を収録する資料や情報源は、ある裁判で示された法律的判断が、別の事件にも適用できるかどうかの判断に資するという趣旨で編集されています。このため、判例集等に収録される判例は、全体の裁判数からするとごくわずかです。裁判では訴状、公判調書、口頭弁論調書、証拠調べ調書、判決原本などの訴訟記録が作成されますが、判例集には、判決文中の主文、理由などの法律的判断が示される部分が収録されます。訴訟記録を閲覧したい場合は、民事事件については第一審裁判所、刑事事件については第一審裁判所に対応する検察庁で閲覧することができます。ということです。

 

0241

自由刑とは具体的にどういうものか分からないです。どういうものでしょうか?昨年も質問ありました。言葉が悪いです。これは自由を拘束する刑罰のことです。自由刑とは?なんですか?自由刑は、受刑者の移動の自由を制限する刑罰です。具体的には、「懲役」、「禁錮」、「拘留」があります。刑事裁判の判決結果のほとんどを占める「懲役」と、「禁錮」には執行猶予が付きますが、「拘留」には執行猶予は付かず実刑判決のみです。刑の種類で死刑になる人は日本だとどれくらいいるんでしょうか?2000年以降、日本では89人の死刑囚に対して刑が執行されました(年平均約4~5人)。死刑の判決が下ったケースは、年により異なりますが年平均5~6件です。実定法の説明や内容が分からなかったです。実定法vs自然法だとどちらが有利なのでしょうか?有利とか不利という問題ではありません。実際には自然法に基づく判決というのは、ほとんどないと思います。ほとんど全て実定法に基づいて裁かれると思います。犬の咬傷の法的責任で、先に通行人が飼い犬に喧嘩売って、襲って来た場合、身を守る為飼い犬が通行人を咬んだら、正当防衛になりますか。それとも過失傷害罪になるのでしょうか?ケースバイケースになると思います。どちらに過失がどのくらいあるかによって、負担の比率は変わると思います。この場合、判決はall or nothing (どちらか一方)ではありません。

 

0251

今回の講義で、習慣・慣習・慣行の似た3つの言葉ですが、講義を通してその意味合いと違いを理解することが出来たました。疑問点としては、条理は成文法・判例法・慣習法のいずれかが法律として存在していない時に裁判として基準にされますが、それはどのようなときに起こりますか??例えば、大会社の会長が天涯孤独になり、合法的に保有し、かねてからかわいがっていた絶滅危惧種で天然記念物のセマルハコガメのシーザーに全財産12兆円を遺産として贈与するという、遺産相続書類を作成した場合。この決着はどうつくのか?成文法、判例法、慣習法にもないのでは?南の島で県の地域振興企画のリゾート開発により、防潮堤整備を行うことになっているが、大陸棚に生息する天然記念物の海浜生物に代わって、企画の停止を要請する訴えを起こす場合?類似の例があれば、判例法でこなせるかも?iPS細胞やゲノム編集のように全く新しい技術開発の成果を利用して、食料生産や医療行為を行った時、想定外の問題が起こり、訴訟になった時、あるいは宇宙から収集した岩石に生命体が存在し、それによって問題が起こった時・・・・いくらでも想定できそうですね。

 

0261

懲役という判決が下された人は具体的にどのような作業をするのですか。また、その作業で得た利益はどこにいくのですか?懲役中の作業には、刑務所の運営作業と物を作る生産作業があります。具体的には、炊事・洗濯など刑務所の運営のための作業である経理作業と、財団法人矯正協会というが組織が国に材料を提供し、靴・家具などを製作させたり、民間企業と刑務作業契約をして民間企業の製品を製作させたりする生産作業があります。作業報奨金は受刑者に対して、釈放の際にその時における報奨金計算額に相当する金額の作業報奨金が支給されます。しかし、これは労働の対価とは考えられておらず、月平均約4200円となっています(2008年現在)。これは刑罰の内容としての労働には対価という概念を想定し得ないためですが、出所直後の生活基盤となる資金になります。

 

0271

初めて不文法というものを知った。今まで他の国でも日本のような成文法ばかりだと思っていたので、驚いた。確かに、日本の法律はなかなか変えられないが、他国では〇〇が認められたなどのニュースをよく聞くので納得した。(それはまた別の話でしたら申し訳ないです。)欧米ではCode No.〇〇といった形で、よく改正されます。規律と規範を英語をまぜながら説明されており、分かりやすかった。

海外の法でも動物の法的地位は日本と同じように「物」として扱われるのでしょうか。それとも生物として、特別な法があったりしますか?面白い資料がありました。興味があれば読んでみてください。動物法の体系化についての一試論https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/8646/1/hogaku0050100590.pdf英国ではたくさんの動物に関連する単独法(動物法)が出来ています。法によっては、単なる物とは区別していると思います。

例:「夜間密猟法1828」、「狩猟法1831」、「ノウサギ法1848」、 「狩猟免許法1860」、「密猟防止法1862」、「犬法1871」、「税関および内国歳入庁法1883」、 「ノウサギ保全法1892」、「動物保護法1911」、 「金融法1924」、「演技動物(規制)1925」、「輸入危害動物法1932」、「映画(動物)1937」、「ウサギ害防止法1939、「農業(人工授精)1946」、「ウマの断尾および尾根切開法1949「ペット動物法1951「闘鶏法1952」、「犬(家畜保護)1953」、 「動物保護(麻酔)1954」、「害獣法1954」、「動物遺棄法1960」、「動物(残虐な毒物)1962」、「動物宿泊施設法1963」、「乗馬施設法1964」、「南極条約法1967」、「農業(雑則)1968」、「郵便法1969」、「動物法1971「犬繁殖法1973、「蹄鉄工(登記)1975」、「番犬法1975、「危険野生動物法1976」、「ミツバチ法1980、「動物健康法1981」、「動物園免許法1981」、「動物健康福祉法1984」、「動物(科学的処置)1986、「動物保護(刑罰)1987」、「地方政府法1988」、「残虐な束縛からの保護法1988」、「危険犬法1989」、「環境保護法1990」、「シカ法1991」、「アナグマ保護法1992、「野生哺乳類(保護)1996」、「動物健康(修正)1998

0281

罰金と科料の説明を読んであまり違いがわかりませんでした。今回説明しましたが、罰金と科料はどちらも刑罰(財産刑)でカテゴリーは同じです。徴収する金額が大きい方が罰金、少ない(千円以上1万円未満)が科料です。親告罪とはなんの罪か、なぜ親しいに告げると書くのですか?昨年も質問ありました。親告罪どういうものか分からない。親告罪は、検察官が起訴を起こす時に被害者の告訴があることを必要とする種類の犯罪です。言い換えれば、被害者からの告訴がなければ検察が起訴することができません。この場合、捜査機関は単独で逮捕や捜査を進めることができません。例えば、強制的な猥褻(わいせつ)や強姦(ごうかん)による犯罪は、被害者にとって非常に屈辱的なことです。刑事手続きや裁判で、繰り返し事情聴取に応じたり、公の前で証言することは精神的にも負担が大きいものです。性犯罪での親告罪は、このように被害者の意思を尊重して設けられています親告:本人が自ら告げること。手紙の「親展」というのは「本人以外が開けちゃいけない」ものですが、 これらの場合「親」は「本人」の意味になります。漢和辞典には、親という字には親しいという意味の他に自らという意味があると書いてあります。僕も知りませんでした。

さらに、調べてみました。これまで、強姦罪(正式には強制性交等罪。以下同じ)は親告罪であり、起訴するに当たって、被害者の「告訴」が必要でした。被害者の判断で、起訴・不起訴が決定されるという状態は、被害者に大きな負担となるものであり、強姦の二次被害となっているという批判もありました。そこで2017年、刑法改正により、強姦罪は、非親告罪とされました。今後は、被害者の告訴がなくとも、検察官は、被疑者を起訴できることになり、被害者の負担は軽減されることになりました。

 

029第1回

自然法と倫理は似ているものでしょうか、それとも別のものとして考えるべきでしょうか。類似の質問の回答を添付します。メッセージ: 普遍的に妥当な正しい法が自然法であるというのはわかりますが、その基準は何を元にして決めるのですか?多くの人の倫理感=規範がその基準となるのですか?法というものを考えると、法は人間が実際に社会生活の必要上から社会規範として、人間が作り出したものです。そして現実に人間社会で定められ、行われている法を実定法といいいます。これに対して、社会規範として定める法(実定法)に基づかなくともヒトがヒトである以上、「時を超え、場を超え、普遍的に妥当する」法が存在する、という考え方が、古代ギリシアの昔からあります。この法が自然法ということですそのため、自然法はその普遍的な正しさと妥当性ゆえに実定法より高次元の規範であり、実定法の基本原理としてそれに妥当の根拠または基準を与えるものだと考えられる、ということです。この定義は実定法の限界を指摘しています。実定法(その基準である法源)を原点におく法学者にとっては答えられない問題かもしれません。哲学の世界に入るでしょう。

しかし、自然科学者にとっては、例えば、ヒトは、この宇宙のアンドロメダ星雲の太陽系の第3惑星である地球という惑星に生存し、それは、40億年まえに誕生した細菌(原核生物)から、真核生物へ、単細胞生物から多細胞生物へ、脊椎動物の魚類から哺乳類、そして霊長類からヒトへとつながった存在であるということ、そのため、この地球という「一つの世界」で、「ヒトは、どこからきて、何者で、どこに行くのか」ということを考えなくてはいけない。進化生物学を学ぶ所以です。そこから生まれる基準が自然法の基準なのではないでしょうか?絶滅危惧種はなぜ保全しなければならないのか?生物多様性はなぜ必要なのか?温暖化は?オゾンホールは、プラスチックごみは?・・・・こうした問題は、この惑星の持続可能性を握る、地球の生命体の一員としてヒトが負う責務で、自然法で対応すべきものかもしれません。合意が取れて成文化されれば実定法に移動するかもしれませんが、その原点は自然法というべきものでしょう。これは、あくまで私見です。質問:実定法の中に自然法という項目がありますが(今回の説明でわかったと思いますが、実定法と自然法は違います。実定法の範囲外が自然法です)、今の時代でも自然法というのは存在するのですか?法の概念としてはあると思いますが、実際には使われていないと思います。というのは、自然法は、もともと法(人間社会ルールとしての法)の限界を認めたうえでの法概念です。あるのであれば 自然法にも罰則はありますか?そういうわけで罰則はないと思いますが、自然法を自然科学的に解釈すれば、その罰は、重ければ人類が滅ぶ?地球の生命体が滅ぶ?ような罰になるのでしょう。

 

030第1回

国会は立法府との事でしたが、立法府とはどのようなことですか。官僚や国会議員が法律をつくることを立法府というのですか。国の法律を作る機関が立法府です。国会に法律を提案できるのは国会議員(議員立法)と内閣(多くの場合、大臣の要請で官僚が考え、総理大臣が代表として提案)だけです。できた法律を執行する役割が行政府、法律違反を罰するのが司法府です。3件分立として習いましたよね。もしそうであれば、他の国はどうなのでしょうか。先進国であっても、政治体制などによって異なります。途上国や独裁国家では、また違います。

 

0311

自由刑の1種の懲役の中には無期懲役があるが無期懲役なのに刑務所から出られる場合はあるか?あります。無期懲役は、「懲役の期間を決めずに刑務所に服役させること」です。終身刑は「死ぬまで刑務所から出られない」と断言することです。そのため、「無期懲役刑だから一生刑務所から出られない」という考えには若干の誤りがあり、無期懲役でも刑務所から出られる可能性があります。ただ、無期懲役で刑務所から出てこられたとしても監視下に置かれ続けます。これは、無期懲役での釈放は、刑期が満了する前に出所する仮釈放となるためです。無期懲役で仮釈放が行なわれるのは、入所から30年経った後からです。更に、仮釈放されること自体が稀で、2014年時点で1,800名程度いる無期懲役囚に対し、年間で10人以下です。

 

0341

強行法規と任意法規の意味はわかりました。しかし、民法のような私法では任意法規の適用が多いと知り、私法でも強行法規が適用されることがあるということであるので、どのような時に私法でも強行法規になるのか分かりませんでした。「民法上は、物権法や身分法に強行法規が多い」とされています。例えば、民法146条は「時効の利益(時効の利益とは、時効の法的効果により生じる利益をいいます。たとえば債務者が消滅時効により債務を免れることができる利益をいいます。)は、あらかじめ放棄することができない」と定めています。他にも、物権法定主義を定めた民法175条(民法その他の法律で認められたものに限って物権の成立を認め,当事者が自由に契約などで新たに物権を創設することは許されないとする主義)が明文の強行法規として存在します。

 

035第1回

感想:今まで 法律に関してほとんど触れたことがありません。しかし、これから獣医関連専門家になるにあたって、学んでいかなければならないことも多く、大変な職業であることを改めて実感しました。法にも様々な種類があり、民事・刑事・行政ではとても責任が重いということがわかった。民事・刑事・行政については、高校生の時にも少し学んでいるので理解できました。しかし、実定法・慣習法・制定法に関してはいまいちよく理解できていないのでしっかり調べたいと思います。

実定法の中に自然法という項目がありますが(今回の説明でわかったと思いますが、実定法と自然法は違います。実定法の範囲外が自然法です)、今の時代でも自然法というのは存在するのですか?法の概念としてはあると思いますが、実際には使われていないと思います。というのは、自然法は、もともと法(人間社会ルールとしての法)の限界を認めたうえでの法概念です。あるのであれば 自然法にも罰則はありますか?そういうわけで罰則はないと思いますが、自然法を自然科学的に解釈すれば、その罰は、重ければ人類が滅ぶ?地球の生命体が滅ぶ?ような罰になるのでしょう。

 

0391

同等動物代金相当額というのはどうやって計算しているのですか?基本的には、死なせてしまった動物と同等の動物を購入するのに必要とする価格です。野良猫を拾った場合も代金が必要なのですか?これは話が別です。殺した相手が、拾った野良猫であれば、代金は不要でしょう。しかし、野良猫でなく、迷いネコで持ち主がわかった時には、それ相当の代金(猫の品種や血統などを考慮する)をはらう必要があります。質問が、野良猫を取得した場合?であるなら、また話は別です。インターネットにわかりやすい解説がありました。「飼い主のいない野良猫を拾って飼い始めても、法律上の問題はないでしょう。所有の意思をもって占有を開始することで、その猫の所有権を取得することになります。これを『無主物先占(持ち主の無いものを拾って所有するときは、先にした方が権利を持つ)』といいます。一方、逃げ出した猫や外飼いの猫を野良猫と勘違いして拾った場合。誰かの飼い猫だと認識していなければ、原則として、刑事責任を問われることはないようです。ただし、猫が連絡先の書いた首輪をつけていたり、猫の体が汚れていないなど、明らかに飼い猫である例外的な場合は除きます。そうした場合には、窃盗や占有離脱物横領の故意(盗んだり、持ち主から離れたものを分かっていて横領した)が認められる可能性も出てきます」。もとに戻って占有者の責任についてですが、この分類では自分の飼っている動物が、他人の動物を傷つけた場合です。自分の動物でなくて車の交通事故で、動物を傷つけたり、死亡させた場合も同様です。ペットは法律上、物と同様に扱われることが原則ですが、車や衣服と違って生き物ですので、主な損害としては修理費ではなく治療費が生じます。交通事故の場合、同治療費は、不法行為によって生じた損害であるということができますので、ペットが後に死亡したとしても、原則として損害の範囲に含まれることになります。ペットが事故にあった場合にかかる費用の多くはこの治療費ですが、その他にも、治療やリハビリのために特別な器具やオムツ等が必要となった場合など、不法行為によって実際に生じた損害については、相当因果関係が認められる範囲で損害賠償請求が認められます。なお、ペットが死亡した場合には、その当時の時価相当額(対象動物の一般的な価値、価格)が損害額として算定されます。

 

0401

授業でわかった事:私はこの授業で初めて法源と言う言葉を知りました。そうでしょう。私も昨年、獣医事法規を教え始めて、初めてしった言葉です。また、この法の中でも制定法、慣習法、判例法、条理の4つがあり、聞いたことがないけれどそれぞれとても大事な意味を表している法源だと言うことがわかりました。法律という言葉は、国会で制定された法規を意味します。閣議で決められたものが政令、省庁で決められたものが省令、地方自治体で決められたものが条令で、これらなどをまとめて法といっています。

判例法についてスライドよりも詳しく説明してください。法源は裁判官が判決を下すときに、よりどころとするものです。上に述べた法律から条令までは、法として条文が定められている制定法です。他方、判決の対象となる事例はケースバイケースで様々な条件が組み合わされており、制定法だけでは結論を出すのが難しいことが多いのです。そのため、裁判所などにはそれまでの判決をまとめた膨大なデータベースがあります。裁判官は、判決を下すのに過去の判例を参考にします。これが判例法になります。また、どのような罪を犯したらこの法律が下されるんですか?法律は国会で決めた法規です。罪を犯したときに、裁判で下されるのは判事(裁判官)による判決です。刑事罰で言えば死刑、懲役、禁固、罰金、拘留、科料及び没収があります。

 

041第1回

法源とは裁判において判決の判断基準となるものである法源には成文化されている制定法、成文化されていないが、社会において繰り返し行われている行為で一部、法としての効力がみとめられている慣習法の制度上の法源と、法ではなく、法の存在を証拠付けたり、法の内容を明らかにする判例、およびこれらの法源では判決できない事例に対応する条理の事実上の4種類の法源があるということ。補足としては、学説も事実上の法源に含まれる。非常によく理解できています。

刑の種類で、禁錮よりも懲役の方が罪が重いと書かれていますが、無期の禁錮よりも有期の懲役の方が罪としては重いのでしょうか?なるほど、結構難しい問題です。禁錮は、受刑者を刑事施設に拘置する刑(刑法13条)、懲役は、受刑者を刑事施設内で拘置し、工場などで所定の作業を行わせる刑(刑法12条)です。どちらも、自由刑(身体の自由を拘束する刑)です。懲役は、定められた刑務作業が義務付けられている点が違います。歴史的に、禁固は政治犯等を対象とする刑であり、規則的労働を強制されることがないとされています。

刑法では、刑の順序は、重い順に死刑懲役禁固罰金拘留及び科料です。そのため懲役が禁固より重くなります(定性的)。ただし、無期の禁固と有期の懲役と比較した場合と、有期の禁固の期間が有期の懲役の2倍を超える場合には、禁固が重い刑となります(定量的)。

 

0421

「条理」は大勢の人々が認めている物事の道理のことであると書かれていました。それは「〜すべきである」という規範なのですか?裁判官が判決の根拠として使うものですから、規範よりももう少し法的確信性をもつ(規律にちかい道理)と思います。一般法と特別法の部分で教科書に「ある事柄について特別法の規定がない場合は一般法が適応される」とありました。その逆はあるのですか?一般法を超える特別法もあります。どうしてごく一部の犯罪でしか適応されない禁固刑をつくったのですか?歴史的に政治犯に適応する自由刑(刑務所に拘束し、自由を奪う刑罰)として作られました。現在でも、もしテロリストが捕まれば、ケースによりますが懲役刑でなく禁固刑になるかもしれません。

 

0431

法と法律の違いで、法は、分かりましたが法律があまり分かりませんでした。法とは大きな概念で、実定法と自然法を含みます。実定法は現実に使われている法で、成文法(制定法、判例法)や不文法(慣習法や条理)を含みます。他方、国内法はカテゴリーの大きい方から憲法(国)、法律(国)、政令(閣議)、省令(省庁)、条例(自治体)と分かれます。法律は国会で決められた規律です。

 

xa011

メッセージ: 獣医法規の第1回講義にて:行政事務でも法律講習あり、実定法から入った記憶が甦ってきました。法源という言葉は、もしかしたら忘れてしまったかもですが、その一つ、条理は=道理、そこに「人の良心」も同じと考えられるますか?そう考えていいともいます。各国で裁判員制度が導入されたように、法というものが専門家の占有ルールではなく、「一般人の道理に基づくものであるべきという司法の原点が条理」ではないでしょうか?尤も実定法に対する自然法は、条理よりも根源的な法ではないかと思います。哲学や宗教そして自然科学の原点に近いルールかと思います。

刑罰の科料と行政罰の過料は、その人の後々にどんな影響があるかも知っておくべきか?後の各論で時々出てきます。でも体系的に説明する必要はありますね。

過料(かりょう)とは、金銭を徴収する制裁の一つ。金銭罰ではあるが、罰金科料と異なり、刑罰ではない。特に刑罰である科料と同じく「かりょう」と同音発音するので、同音異義語で混同しないよう、過料を「あやまちりょう」、科料を「とがりょう」と呼んで区別することがある。過料(あやまちりょう)には、秩序罰としての過料、執行罰としての過料、懲戒罰としての過料があり、秩序罰としての過料には、民事上の義務違反に対するもの、民事訴訟上の義務違反に対するもの、行政上の義務違反に対するもの、地方公共団体の条例・規則違反に対するものがある。科料(とがりょう)は千以上1万円未満の金銭を強制的に徴収する財産である。日本の現行刑法における主刑では最も軽い刑罰で、軽微な犯罪に対して科される。 罰金と類似しているが、罰金は原則として1万円以上である。 検察庁保管の前科調書に記載され前科となる。

 

 第2回の講義は法律と動物の関係の総論です。法律から見た動物(家畜、家禽、愛玩動物、野生動物、実験動物、展示動物等)と動物から見た関係する法律です。詳細は次回から始まる各論で説明します。

妻と作った人形。

娘の修学旅行の写真をもとにしました。

妻と作った人形。

娘の修学旅行の写真をもとにしました。

オリジナルの写真です

 

娘のドイツ時代のカーニバルの写真です。大家さんは子ネズミちゃん「モイスヒェン」といっていました。

下の人形は妻の作品です。

先日、妻の作品が創刊700号記念家庭画報大賞の佳作に入りました。

題「何して遊ぼう」です。

 

妻が、稽古に通い、粘土で作った作品です。昨年、東京フォーラムで、他の生徒さんと一緒に展示されました、「仙人草」

(水やり不要です)。

妻の人形作品です。

ドイツ時代の香代の幼稚園の友達です

ある夏のスナップです。妻の父母、娘、甥たちの集合写真から作りました。