愛媛県獣医師会、今治市と岡山理科大学獣医学部が災害時避難及び災害時同行避難の拠点となることを協定してから、約1年が経過しようとしています。準正課教育として準備をした来ましたが、来る12月7日にキックオフの講演会を開くことになりました。学生さんたちと県獣医師会、今治市などと協力して、災害時同行避難のモデルとして支援体制を確立し、そのノウハウを他の災害避難所にも技術移転していきたいと考えています。
この講演会は、今治キャンパスが開いている第15回の市民公開講座ともなっています、学生さんだけでなく市民の方々も是非おいでください。皆で考えていきたいと思います。
講師の先生方は、この分野で実際に同行避難の活動を進めている方々です。熊本県の竜之介動物病院の徳田竜之介先生、東京都のヤマザキ動物看護大学の福山貴昭先生、静岡県のふくろう動物病院の鈴木淑剛先生です。いろいろな体験談が聴けると思います。楽しみです。
千葉科学大学のサテライト大学院では、下記の2大学院生の他に、同伴避難の課題を取り上げた馳川さん(このHPの「盲導犬同伴避難」に載せてあります)の研究と、ヤマザキ学園の福山先生の「災害時の同行避難」に関する研究の面倒をみました。2018年に岡山理科大学に赴任して、今治キャンパスを災害時の避難拠点にすることにしました。今治市で初めての同行避難拠点形成を目指して、学生さん主導で準正課教育を始めることにしました。2人の研究を参考にしたいと思い、ここに、福山先生のスライドをあげておきます。福山先生の研究は、その後、進化したと思います。
ここからは、千葉科学大学時の、サテライト大学院の時のデータです。サテライト大学院で研究指導した宮原さんが修士課程を修了しました。また、昨年は本田さんが危機管理学修士になりました。千葉科学大学のサテライト大学院で指導した2人が無事に修士課程を修了したことは喜ばしい限りです。お二人の修士論文要旨を載せます。詳しい内容は3年生の動物危機管理学概論で説明してあります。
本田さんの修士論文要旨です。動物病院の安全管理マニュアル作成に関する内容です。
2014年のサテライト大学院の講義が間近になりました。
今年は10月10日から24日まで、米国出張(シアトル、ワシントンDCのUSDA、ジョージタウン大学、イサカのコーネル大学の創立150周年記念式典等)があり、帰国後25日が講義です。米国出張中に講義のスライドを作りました。コーネル大学では創立150周年記念で、学生がデモでやった、ディベートモデルをみました。ものすごい迫力でした。
時差ボケにならないように頑張ります。
11月25日、無事にサテライト大学院の講義が終わりました。以下は1限目に用いたスライドです。BSEリスク評価は、レギュラトリーサイエンスにかかわる最も良い例題と言えます。また、トランスサイエンスという困難な問題の一面を持つ例題とも言えます。その辺が議論できればいいと思います。
2限目のスライドです。感染症の由来と、その対策について、国際レベルの対応、国内の対策等について説明しました。どのようにリスク評価を進めるか?とった施策の評価をどのように行うか?具体例を上げて検討したいと思います。
2013年9月28日 竹橋の毎日新聞社ビル1階の千葉科学大学サテライト大学院で
講義と白熱教室?を行いました。
1限(10時半から12時まで)は「インフルエンザと危機管理」
について講義をしました。
2限(1時から2時半)は「人獣共通感染症と法律、リスク管理のための評価方法」
などについて講義し、質疑応答
3限(2時40分から4時半)までは、「BSEをめぐるリスク評価および科学と社会」
というテーマで講義をしました。
4限はそのまま、6時まで、これまでの講義に関する質疑応答、感想、意見の
やり取りという形で、気が付くとほぼ予定の6時でした。
最後に、皆で記念写真を撮りました(高根さん、野村先生ご苦労様でした)。
生徒の皆さん、お疲れ様でした。
なおレポートの課題は
1、人からの視点を離れて、ウイルスの世界の講義で聞いた観点を発達させ、
細菌から見た世界、原虫から見た世界のイメージを描け。
2、危機管理上、多くの課題に取り組む場合のプライオリティー(順位)の
つけ方について、どのような方法があるか考察し、自分の意見を述べよ。
3、科学万能(科学の進歩が人の幸福につながる)という社会評価が揺らぐ
中での、社会と科学の在り方について、自分の意見をまとめななさい。
というものです。
授業終了後の写真です
高根さんが撮ってくれました。
2013年11月23日(土)、2回目のサテライト大学院の授業でした。
今回は野村先生が食料問題の概説をしてくれました。
午後は、私が食との関連でビスフェノールAの研究
(内分泌攪乱化学物質と胎児脳発達)の問題と
口蹄疫と食の安定供給(安全保障)の問題を講義しました。
その後の討議をふくめてやはり、6時ころまで議論となりました。